マリ子のゲーム飯マンガ飯

ゲーム内料理やマンガご飯を再現しているブログです。ジブリ大好き。ドラクエXプレイ中、たまにアストルティアの思い出など

仮想と現実の区別がついているからこそ。

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久しぶりの更新だけど

農水省事務次官の事件に触れてみます。

 

 

ただのユルイブログなんで

社会的なことを話題にあげるのは

どうかなとも思ったんだけど、

 

初めてのオンラインゲームを2年やってみた感想も含めて書いてみる。

 

 

一部ユーザーが行なっていた

故人をまるでおもちゃにして

中傷するような行為には今回は触れません。

 

 

ゲームにのめり込むと

仮想と現実の区別がつかなくなって

危険人物になるのかということについて考えてみました。

 

 

※今から書くことは、日常生活に支障をきたさない程度に楽しむ方(ほとんどのユーザー)には当てはまらないと思います。

あくまで、今回の事件についての私見です。

 

 

 

結論からいうと、根本的に自分に自信ないと、ゲームにのめり込んでレベルが上がるほど、

社会における自分とのギャップを感じて余計に区別するように思う。

 

 

オンライン上以外の日常生活における心の充実度が低いほど、オンライン上で得た優越感は根本的な自信と反比例すると私は思う。

 

 

その証拠に、今回の事件の当人はゲーム内ではやり込んでいたプレイヤーの部類らしいけど、他プレイヤーへのマウントの取り方は「俺の家族は凄いんだぞ」だった。

 

 

自己信頼感があれば、第三者を引き合いに出して「だから俺もすごいんだぞ」という、虎の威を借る狐的な表現はしないはず。

 

(そもそも人間関係においてマウントをとる必要もないんだけどね)

 

 

そこでポイントは、オンラインゲーム上ではゲーム内における「俺すごい」は作りやすい。

 

 

時間をかければレベルは上がるしコツもわかるし、お金稼いで高い装備買って、練習すればすごい強い敵も倒せる可能性も増える。

(私は頑張っても強い敵倒せないから、ゲームのスキルも多少はあると思うけど)

 

 

だから日常生活における自信のなさを、ゲーム内における強さで補おうとすることが、可能なわけですね。

 

 

(※ここ本当に誤解がないよう、ほとんどの方は楽しくてゲームしてるだけだと思うから、自信を補うためにレベル上げてるとか、全く思ってません! )

 

 

じゃあゲーム内で無敵になった時、日常生活に自信が持てるかと言ったらどうなんだろうって話です。

 

 

それが冒頭に書いた「余計にギャップができる」だと思う。

 

 

私が初めてオンラインゲームをやってみて思ったのが、ストレス少なく人と繋がれるけど、同時に人や自分と向き合う煩わしさも避けて通れるってこと。

 

 

例えば職場に気の合わない人がいたら、その人と上手くやるためにコミュニケーションを学んだり、自分の言動を振り返ったり、社会と自分を知る一つの学びの機会になる。

 

 

でもオンラインゲーム上では、気が合わなきゃ切ればいい。

視界に入れたくなければ切ればいい。

(私は過去二度これを経験して、ここにおける人間関係ってそんなもんなんだってなかなかの衝撃だった)

 

 

んでまた、新しい所属先や新しいオンラインのコミュニティを探せばいい、って世界なんだよね。

 

 

ある意味気楽だけど、ある意味希薄で、

悩んで向き合って乗り越えるっていう、

人としての成長の機会をスルーしても

そこそこの人間関係と居場所を作ることができる。

 

 

大抵の人はそんなこと分かった上で、仕事の息抜きだったり、単純にゲーム自体にワクワクしたり、ゲーム内の楽しい交流の場としてそこを利用していると思う。

 

 

だけど今回のようにオンラインが自分の居場所の全てになった時、人として学ぶべき課題を投げ捨てて、オンライン上での関係に依存して、リアルを放棄してそこに逃げ込むことが出来るんだよね。

 

 

もちろん、日常生活で嫌なことがあって、そんな時オンライン仲間とあって癒されて、

 

「また明日も頑張るぞ!」みたいな生活の潤滑剤になることも事実だし、私はそうやってオンラインを利用していると思う。

 

オンラインで繋がった人たちは、人として好きな人がたくさんいるし、実際リアルと変わらない友達だと思ってる人いっぱいいる。

 

 

 

ただ、日常生活が嫌だから全てオンラインに逃げて、リアルの課題を全て放棄してしまった時、

 

それを周りの、特に身近な人がどう捉えるんだろうというのが、今回思ったことね。

 

 

人には人の悩みがあるし、当人の苦しみは当人しか分からない。その背景になにがあるのか、他人からは見えない。

 

だから事件の当事者に対して、甘えてるとかそういうことは私は思いたくないと思う。

 

 

ただ、オンラインていう簡単に人との関係や居場所のようなものを作れる場所があり、

 

その「架空の場でしか」ドーパミンを出せなくなった時、日常生活よりも架空の場が大事になる。

 

いわゆる「依存」になるんだなと思う。

 

今回はその結末がかなり極端な形で出たのではないかと思う。

 

 

それはゲームのせいじゃないと思うし、このゲームがなくてもオンラインで依存する場なんて数限りなくある。

 

規制したところで新たな依存先を探すだけだと思う。

 

 

 

だからね、ゲームやアルコールやタバコや薬以外の場でも、自分の心を満足させる場を作れているかどうかが、心の健全を保つ上で大事だと思いました。

 

 

それは自分で探すしかないし、自分で見つけるしかないんだけどね。

 

 

色々書いたけどまとめ。

 

 

オンラインは楽しい。

ストレス解消になるし、年齢や社会的地位のフィルターなく人と繋がれるとっても素敵な場だと思う。

 

でも架空の世界の居場所が全てになった時、それはリアル世界と自分の根本的な心の隙間を埋めるものには取って代わらない。

 

ゲームも楽しむ。その上でリアル世界でも楽しみや心の豊かさを感じる時間を作ること。

 

 

こうして、架空とリアルな世界を両方健全に付き合っていけたらいいよね

、っていうのが、今日の私の言いたいことでした。

 

 

まる。